主人は自分-後生の一大事-
著 者 | 増井 悟朗 (ききて)峯尾武男 |
掲載号 | 華光誌 60-3号 平成13年7月発行 |
「主人は自分」―後生の一大事―を元に書き起こされたものです。著作権の関係で他への無断掲載はご遠慮ください。
※NHKホームページの「放送番組と著作権」ページのガイドラインに従って、掲載の判断をしております。
-幼児の宗教教育-
(峯尾)…人が信仰に入るとは、どういうことか。人はどういう機縁で信仰に入るのかについて、今日は浄土真宗・華光会代表の増井悟朗さんにお話をうかがってまいります。
まず、増井さんご自身のことで少しうかがいますが、お生まれは、大正14年、大阪市ですね。
(増井)…はい。
(峯尾)…商家のお生まれですか。
(増井)…商家です。10番目の末っ子として、母が42歳の時に生まれました。
(峯尾)…お母さまが非常に熱心な浄土真宗の信者でいらっしゃった?
(増井)…はい。よく手を引かれて、お寺へ参りました。
(峯尾)…日々の生活の中でも、宗教教育を幼い頃から受けられていた。
(増井)…そうですね。仏前での礼拝をせんと、朝晩の食事が取れません。そして、神仏に向かって、無理な願い、あるいは、勝手な願いをしてはならないと言われていたですね。
(峯尾)…ほう。
(増井)…なぜ手を合わせるかは、子供心にわからず、母に聞くと「ありがとうございます。もうしわけございません」と感謝と懺悔(さんげ)をするのだと言うのです。
(峯尾)…でも、それは幼い悟朗少年としては、ごく自然なことだったのですね。
(増井)…だけど、学校ぐるみでの神社、仏閣への戦勝祈願には抵抗を感じましたね。
-肺結核が求道の縁-
(峯尾)…大きな病気をなさったのは、おいくつぐらいですか。
(増井)…病気というよりも、戦時中ですからね。それで学校を自分から休んだ。四年生の時でしたが。
(峯尾)…旧制中学の、
(増井)…旧制中学、商業学校で、4年生2学期の試験前だったと思います。これは、体をきたえておかないと、応召して戦病死にでもなったら、不名誉だということで、自分から休んだわけです。(肺結核の療養に励む増井さんは、絶対安静を続けた)
(峯尾)…そうすると、学校のお友達はまさに軍事教練があり、これから自分達は戦いに出る身だという時に、増井さんご自身は、まずその体を治す、作るということに専念されたということでしょうか。
(増井)…はい、そうなんです。
(峯尾)…特別な療法をされたのですか。
-国嶋療法を知る-
(増井)…初めは鍬(くわ)をふるったりの鍛錬の素人療法が失敗して絶対安静の自然療養をしていたのです。ところが、母がお参りに行った先で、仏教を取り入れた健康法。一切薬を使わないで(当時は特効薬がなかった)、健康部位を動かすという京都薬師山にある国嶋病院での治療法を聞いてきたのです。それに、飛びついたのですね。そのお陰で病気もよくなり、さらに信仰面でも、私の人生を左右するほどの収穫があったのです。国嶋療法では、治病のためには、単なる体の安静だけではだめで、心の安静が大切。そのために手足の運動をし、特別な腹式呼吸をやり、それから、母に冷水摩擦をしてもらうのです。お陰でグッスリ眠れる。それ以外に、何宗でもいいから信仰を持って、心の安定をはからねば、心の安静はえられないと。非常に合理的な健康法なのですよ。
(峯尾)…それで、どなたかのお話を聞くとかですか。
(増井)…絶対安静ですからお話を聞きに出かけられません。それでほとんど仏書を読むのです。仏壇の引き出しにある油じみた経本の裏に、仏書屋さんの広告があったのです。今でも売ってるだろうかと、注文しては、次々と読んでいきましたね。
(峯尾)…それで頭での理解は「仏教とはいかなるものか」「浄土真宗の教えとはどういうものか」と、どんどん吸収されていかれた。
-『仏敵』との出会い-
(増井)…まあ一応ね。でも、それがくつがえされる書物に出会ったのですよ。と、申しますのは、国嶋療法では伊藤康善という真宗のお坊さんが、精神面の指導をなさっていました。そこから出版されていた『仏敵』という書物があったのです。
(伊藤康善(いとうこうぜん)=『仏敵』(春秋社刊行)。真宗興正派学頭…明治30年~昭和44年)
(峯尾)…「ぶってき」というのは?
(増井)…仏の敵ですね。敵、味方の敵です。それを注文したのではなく、もっとありがたそうな題名の本を注文したのに、値段の高いその本を送ってこられたのです。
ところが読んでみると驚きました。自分の頭で作っていた信仰とはまるで違うのです。
その伊藤先生ご自身の若き日の求道体験が綴(つづ)られているのですね。
そして、その体験が身にえられた、それを「獲信(ぎゃくしん)」(信心獲得のこと)というのですけれども
、その獲信の境地の素晴らしさに心ひかれたですね。
(峯尾)…「獲信」というのは、「かくとく」の「獲」という字に、「信仰」の「信」ですね。
(増井)…はい。仏教よみをして、ぎゃくとく―信心獲得(ぎゃくとく)ということですね。
(峯尾)…これはまさに、それこそ稲妻に撃たれたように、その『仏敵』という書物が、増井さんの心に響いた。
(増井)…今まで、国嶋療法では「六尺(ろくしゃく)病床是(これ)道場」をスローガンとして治病は大事業だというので、それに専念しておった。
ところが『仏敵』を読んでみると、世界が違う。小さな世界だ、と。
人間に生まれてきたのは、信仰をえて、仏様にならしていただく、成仏させていただく。
それでないと、迷いの世界で、病んでいるとか治ったとか、勝ったとか、負けたとか、いうのではダメだと気がついたのです。
それで今度は、たとえ病気が治らなくても、信仰がえられなかったら病床を立つまい。
親不孝と言われようと、国に不忠と言われようとですね、絶対に信仰がえられる、獲信するまでは求めようという気持ちに変わったのですよ。
それが大きな変わり目でしたね。
-『仏敵』について-
(峯尾)…その伊藤康善さんの『仏敵』という題名は、具体的にはどういうことですか。
(増井)…これは今だから言えるのですけれど、その時は理解できなかった。
つまり、誰にも仏様がついていて下さるわけですね。
そして、幸せになってくれと願ってなさるのにもかかわらず、仏様との出会いをできないようにしているのが仏敵。
否定したり、無関心であったり、また肯定して聞こうとしても、スッと受け入れられないで、ああでもない、こうでもないと小理屈をこねて、なかなか手強(てごわ)い心なのですよ。
それを題名にしていなさった。
物語り風なこの本は、ぜひ多くの人に読んでもらいたい、文学的にも不朽の名作です。
(峯尾)…今はそれを、私がいきなり素人の質問でうかがっても、わかりやすく話をして下さいますが、では、まだ10代の青年である増井さんが、その『仏敵』をお読みになり、まもなく獲信、信心獲得なさるわけですね。そのあたりのご自身の苦しみ、焦り、あるいは、喜び、そういったものを少し教えていただけますか。
-信心獲得をめざす-
(増井)…読書聞法だけだったのですが、ただ一度だけ、母が昔お育てをいただいた大谷派のお坊さんが、近所にお説教にこられて、病床説法していただいたのです。
ところが、『仏敵』を読んでおりますので、お坊さんでも本物はおらない。
国に一人、郡(こおり)に一人というほど、獲信というのは難しいもので、獲信したつもりの人はたくさんおると。
心にそう焼きついていたので、その先生がどれだけお話して下さっても、疑ってかかったのです。
(峯尾)…この方は、本物ではないかもしれない、という。
(増井)…そして、熱を入れてお話をされるにつれて、「洗脳されたらいかん。だまされんぞ!」というような調子で反発しましたね。
-自己をみつめる-
(増井)…ところが帰られてから猛反省しました。
私は、獲信にこだわって、結論を急ぎすぎている。
「わかろう、いただこう、つかもう」と力んでいるだけでは駄目だと、あの先生から教えられたのではないかと。
そう思って反省すると、自分というものが、少しも見えていない。
まず自己を知る。そこに気づかせられた。
これは、私の求道上での一大転換でした。
それからは、仏書選びの方針も変わりました。
すると、気づけなかった親不孝の自分が責められてきました。
今まで「子供の病気を治すのは、母親の義務ではないか」ぐらいに思って、文句ばかり言うていた恥ずかしい自分が、見えてきたのです。
-死なねばならぬ!-
(増井)…さらに大きな変わり目をもたらす事件が二つ起こりました。
その一つは、近くに同じ病気を長くわずらった奥さんがおられ、ご夫婦二人の生活でした。
ある日、母が玄関を掃いていたら、夫婦で出かけられるので、「お元気になられましたね」「物のない時ですが、何かお祝いにと思って買い物にまいります。
足ならしもありますしね」「お気をつけて、行ってらっしゃい」と言ったけれども母はもう胸が張り裂ける思いで、私にそれを知らせに来たのですよ。
涙をいっぱいためて、「必ず治してみせるよ」って言われた。
「お母さん、ぼくも頑張るよ」と申しました。
ところが、不慮の出来事が待ち受けていましてね。
デパートの屋上から飛び降り自殺する青年が、そのご婦人の真上に落下したのです。
共に即死です。
そして、その話を顔面蒼白(そうはく)の母から聞かされた時には、大きなショックでした。
これから病気を治そうとしているのに、病気は治っても死なねばならないと。
ああ、無常とはまさしくこういうことを言うのだなあと。
それは一つの大きな、決定的な出来事だったですね。
-落ちたくない!-
(増井)…次は、食糧難の頃で、嫁に行っておった姉が、たまたま正月にお肉を手に入れて、それをいただいたのです。
ところが、どういうわけか、食中毒ですよ。
夕飯食べて、まもなしに、吐くわ、吐くわで、もう吐く物がないのに、からえずきしましてね。
それが治まって、フッと体を動かすと、天井から、壁からずり落ちていくのです。
目が回るわけですよ。
これはどういうことかと思って、また、試しに体を動かすと、同じことが起こるのです。
その時に、何とも、今まで経験したこともない恐怖感が起こった。
ほんとうに一大事がある。
後生には一大事がある。
落ちていかねばならない。
でも地獄へは落ちたくない!という思いで、布団にしがみついたのですよ。
どうあっても聞かねばならない。
この二つの出来事が、たまたま前後して起こったのです。
-睡魔と自力疑心との格闘-
(増井)…ですから、私としては、ここ一つをハッキリさせねばならない。
ですけど、同時に体の方が思わしくなかったのです。
食事も進まず、夜も眠られないので、ガリガリにやせてきたのですよ。
しかも「死が近づいているぞ」というご催促のご法がございますでしょう。
そういう時に、たまたま読んだのが『宗教的反省』という書物です。
(真宗大谷派・広島文理科大学教授、調円理師の著書)
序文を読むと、私と同病の娘さんが、すでに死んでいなさる。
例によって、疑い深い気持ちでいたのですが、その娘さんが「お父さん、私は死ぬのではなく、お浄土の花嫁になるのですね。
もし目が開いていたら、まぶたを閉じてくださいね」と、淡々として語っているのです。
ああ、羨(うらや)ましいなあ。
こんな心境にまで娘さんを導いた人の本なら間違いないと、一生懸命読みだしたのです。
ところが、体が弱っていますので、一ページとして読めないのです。
すぐ疲れてしまう。
ちょっと分厚い本でした。
頑張って読もうとすると、すぐ睡魔が襲ってくる。
ウツラッとすると「しまった。
お前はなんだ。
それでも道を求めているのか」という自責の心ではなくて、恥ずかしいのですけれど「ああ、よかった眠れたなあ。
これで体力は少し回復する」と、そういう自分が見えてきたのです。
ですから「ほんとうに聞きたいのか、お前は」「いや、聞きたい。
どんなことがあっても」「そう言うたのに、本心は違うではないか」という、このジレンマですね。これでずいぶん悩みました。
-心の大転換-
(増井)…こうして体への執着をとおして自力疑心との格闘でフラフラになっている時、その『宗教的反省』のどこを読んでいたのか―後で、何度調べてもわからないのですが―「ああ、そうか!」と心境が一変する時があったのです。
「ああ、自分は間違っておった。
申しわけない。
ずっと仏様が、なんの条件もなしに、私を呼び続けて下さっておったのだ」と同時に、溢(あふ)れる涙と念仏と共に、ジッとしておれなくなった。
母とも抱き合って喜びました。
それまで半月くらい眠れなかったのに、今度はありがたくてうれしくて、「一息一息がお浄土だ。
眠っておれるか」というので、また半月ほど眠れなかったんです。でも今から思うと、純真な時に、よくぞお聞かせをいただいたなあと思いますね。
-『華光』誌と華光会について-
(峯尾)…伊藤先生に、結局その後、増井さんはお会いになって、ご指導をいただきながら、昭和20年に、龍谷大学へ入られたのですか。(ええ)今、華光会の代表をしてらっしゃいますが、『華光』という雑誌も伊藤さんから引き継がれたのですか。
(増井)…そうです。もともと『華光』誌は、病院の患者や全快者の同人誌として昭和16年11月15日(戦争直前)にスタートして、今年で60年間も継続してきた純信仰誌です。
その後、宗教法人として「華光会」ができ、さらに「華光会館」も創建されることになりました。
この会は、日本中はもちろん、北米の日系人でも、地縁・血縁を超えて「後生の一大事」という真宗の信仰を中心に、志を同じくする者で、伝統や権威にしばられることなく、結成されています。
いわゆる親鸞聖人の同朋精神にもとづいて、信・未信にかかわらず、宗派、僧・俗、年齢、男女等の一切の差別を超えた集団です。
その活動も文書伝道や法話の一方通行のほかに、座談や示談を重視する。
一人一人を大切にし、会や組織の発展を二の次に考えて、去る者は追わず、来る者は拒まずといった自由精神で貫いています。
(峯尾)…増井さんご自身が、得度なさったのは、26歳ですね。
(増井)…ええ、伊藤先生のお勧めがあったからです。
-求道の要点-
(峯尾)…そして、浄土真宗本願寺派の布教師になられて以来、ずっと多くの方に道を説いていらっしゃいました。その求道と聞法ですが、その要点はどんなふうにすればいいと言っておられるのですか。
そのへんを聞かせていただきたいのですが。
(増井)…やはり指導者につくということですね。
しかも、それが、自分が求めた、信仰体験をした、そして、実際にその体験を通して布教をなさる方に師事するということが、一つですね。
どうしても学問だけで指導なさる方が多いですからね。
もう一つは、蓮如上人の『御文章(ごぶんしょう)』とか、『領解文(りょうげんもん)』の中に、求道の要点がチャンと示されているのです。
-領解文について-
(増井)…とくに領解文は、どのように信仰をいただいたかを、仏前で告白する仕方を示されたものなのです。
口と心が一つになるための体験告白の型です。
蓮如上人のころ、全国に真宗の教えが広まると、地方のなまりとか自慢話とか、いろんなものが混じって聞きづらいので、一つの型を作られた。
この型に合っておれば合格。さもなかったら、しっかり求めよということで、内容は四分段があるのです。
そのうち、求道の要点を示されたのが、前二つです。
『領解文』(大谷派は改解文(かいけもん)・蓮如上人作
「もろもろの雑行(ぞうぎょう)・雑修(ざっしゅ)・自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御(おん)たすけ候へとたのみまうして候ふ。たのむ一念のとき 往生一定(いちじょう)、御(おん)たすけ治定(じじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じ、よろこびまうし候ふ。」
(増井)…このうち前が「安心(あんじん)」信心のこと。
二番目は「報謝」。
これで信心正因・称名報謝ということで、念仏の位置づけをなさったのです。
三番目は「師徳」、親鸞聖人や善知識のご指導のご恩徳を謝すること。
四番目には、「法度(はっと)」と申しまして、いろいろ御文章の中で「こうするな」「ああしなさい」とある生活基準を守ること。
-求道の要点~安心と報謝-
(増井)…この中で、求道の要点となるのは、前の安心のところだから、もう一度申しましょう。
「もろもろの雑行・雑修・自力のこころをふりすてて」という、「雑行」とは、聖道門の方達が、自分の罪を破るために、煩悩と闘っていく行ですね。
いうならばもろもろの善業なのです。
なぜそれを捨てよと言われるかというと、凡夫の私どもにはできない。
それをやって、仏様の救いを求めるのはダメ、それを捨てなさい。
善人にはなれないのだよと。
それから「雑修」というのは、念仏一つ・南無阿弥陀仏一つで救われるのに、それでは心もとないから、仏様を拝むとか、お経を読むとか、へたな鉄砲も数打てば当たる、というような不純な気持ちでの行をいうのです。
それも捨てなさい。
雑行も雑修もできない悪人でも、「自力のこころ」というのがある。
この自力の心は、助かりたい、仏になりたい、ありがたくなりたい、どうすればいいか、それがみんな、はからい心だから、捨てなさいとおっしゃったのです。
それが「もろもろの雑行・雑修・自力のこころをふりすてて」ということ。
そして、どうするかというと「一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみもうして候ふ」と。
この阿弥陀様のお助けを信ずる一つで、助かるということです。
その次に「たのむ一念のとき、往生一定、御たすけ治定と存じ」、そこまでがご安心なのです。
それで、「雑行・雑修・自力のこころをふりすてて」そして「後生たすけたまえと弥陀をたのむ」と、ここに蓮如様の独特のご教化があるのです。
それでは念仏を称えて助かるのではないかというと「このうへの称名は、御恩報謝と存じ、よろこびもうし候ふ」と。
お救いをいただいたら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と溢れ出てくるのだと。
「南無阿弥陀仏」をいただくのだから、「南無阿弥陀仏」と出てくるのが当たり前。
「南無阿弥陀仏」のお救いを、弥陀が「南無阿弥陀仏と一声称えてくれよ」と頼んでいなさるのを聞いたら、これは称えずにはおれなくなってくる。
だから、念仏称えて助かるのではない。
称名念仏はご報謝だとおっしゃったのですね。
-「後生」の意味-
(峯尾)…この『領解文』の中に出てまいります「後生」ということについて、今度はお教えいただきたいのですが。
(増井)…はい。
「後生」といいますと、「後」の上に「死」をつけ、「生」の下に「活」をつけ「死後の生活」と考えたらどうでしょうか。
死んだら終わりではなしに、死後にも、やはり生きていかねばならないという、そういう意味合いですね。
そうすると、現在の生活の前の過去世を、前生(ぜんしょう)(又は前世)といって、前生(前世)、現生(げんしょう)(現世)、後生(ごしょう)(後世)というふうに、過去、現在、未来にわたって、生活が連続していくのを「三世因果」というふうに申すわけです。
明治以後日本人は、そういう考え方を失ったですね。
特に、戦後は三世思想は全くないと言ってもいいぐらい。
それが今日の混乱の根源にあると、私は思うのです。
上っ面ばかり修復しても、それは応急措置でしかない。
人間、つまり自分の腹底が、それほど長い迷いを繰り返してきていたという反省に立つことですね。
つまり自分の責任の取り方の深さなのですね。
-一般の後生と仏法での後生-
(峯尾)…私どもが世間一般で考えている、いわゆる常識で前世とか後生というと、自分自身が、「現世」、今この世にいて、ご先祖さまからズウッと伝わってくるものがあって、それが「前世」というもので、それから自分の後に続くのが、自分の子供や孫、つまりそれが「後生」という考え方をするのですが。
(増井)…そうですね。
それが現代人の考え方です。
「親の因果が子に報う」とか「積善(せきぜん)の家には余慶(よけい)あり」というように儒教(じゅきょう)的というか道徳的な考え方なのです。
仏教でもこの親とか先祖、そして自分があって、子がおり、子孫があるという縦の、過去、現在、未来を否定はしないが、あくまでも自分にとっての悟りをめざすのが仏教の立場です。
ですから仏教でいう過去・現在・未来というのは、横にいくのですね。
自分の前の過去も自分だ。
そして、過去の原因の責任を取らされた形が、現在の自分だ。
さらに今度自分が責任を取っていく未来というのは、やはりそこでも自分が、責任を取っていくと。
そういう考え方が仏教の三世観ですね。
これが、キリスト教ですと、過去は神様が創られたから、ないわけです。
でも、仏教は徹底的に、そこは自己責任。
自分という者の責任を追及してまいりますから、神仏に依存したり、神仏が創られたものだといった考え方はしないのですね。
(峯尾)…「後生」というのは、さきほど言葉を加えると、「死後の生活」である。
「一人の人間が、いわゆる死後と言われた後生にも、生きていかねばならぬ」という言い方をなさいました。
それが一つ、私達が世間一般で言っている「過去、現在、未来」とは違う。
自分が全部すべての責任を持って、ということになるわけですね。
-迷いの六道輪廻-
(増井)…そうですね。
そして、時間的に言うと、過去世、現在世、未来世と一貫して自分が続いていく。
現在世でやった行為によって、未来世がどういう形をとってくるのか。
善悪因果の形で、因果の舞台が六道の世界をとっているわけです。
迷いの世界としてですね。
一番最低が「地獄」。
そして、上が「餓鬼」。
そして、その上が「畜生」。
それを「三悪道(さんまくどう)」と申しまして、仏法が聞けない世界。
そしてさらにその上が「修羅」「人間」「天上」。
この三つの世界は仏法が聞ける。
でも、やはり迷いを繰り返していく。
そこを輪廻(りんね)していかねばならない。
天上界は楽しみがあまりにも多くて聞法しにくく、また地獄にも落ちていかねばならないというようなことですね。
時間的にいうと、三世因果ですが、受ける結果からいうと、六道を輪廻していくということです。
仏法は、それを現在の自分において、迷いの流れを断ち切ってしまう。
自己責任を果たすために、煩悩と闘い、罪と闘い、責任を取りきって、仏になりなさいというのが、お釈迦様のお説きになった本来の仏教の立場なのです。
それが、今日では仏教も俗化した形で、世間一般では、信仰といえば先祖供養とか墓石を造るとか、いわゆる死者供養の葬式仏教になり下がっています。
それは人間の醜いエゴが生み出した誤った信仰で、先祖を粗末にすると崇(たた)りがあるとか、逆に先祖を大切に親孝行をしておけば、子孫が見習って、自分の死後も法事供養をしてくれるとか、信仰とはとても言えない行為が無反省に行われています。
先祖を大事にするのは、人間として当然の行為で、それは決して信仰といえるものではありません。
-「一大事」について-
(峯尾)…そして、後生の一大事。「一大事」というのは、これはどういうことなのでしょうか。
(増井)…今も申しましたように、一般的に世間では自分の「死後の生活」などは否定しているから、後生よりは現世のほうが一大事と考えています。
ところが、仏法では、仏様の目からご覧になると、因果応報で、自分で作った責任は、自分で受けていかなければならない。
六道を輪廻していく。
最もひどい結果は地獄行きです。
「後生の一大事」の二つめの意味です。
ところが、阿弥陀様がその後生を引き受けて、死後、浄土へ往生させようと言って下さる。
そこで自分の後生をお任せする。
これが三つめの「後生の一大事」なのです。
するとどうなるか。
一日一日が地獄行きだったものが、お浄土へ向かって進んでいくことになる。
だから、二番目の信前の一大事と、三番目の信後の一大事とでは、仏にお任せする、つまり信心によってわかれてくるのです。
片方は迷いを続けていく。
片方は迷わないで浄土に往生し、仏となって迷いの打ち止めということです。
(峯尾)…「一大事」というのは、非常に大事なものである。一般的な語句の解釈の、それでいいのですか。
(増井)…まあ、俗に「すわ一大事」と申しますね。
あれはもう一番大変なことが起こってきた、という意味なのです。
今は死語になりましたがね。
「後生だからお願い」と言って、ものを頼む時に使ったりして、意味が全然違うのです。
「後生の一大事」という意味は、やはりこれにも三つあると思うのです。
深まり方の程度です。
まず「後生も一大事」。
数ある一大事の中の一つ。
(峯尾)…後生も大切である。大事である、とすると。
(増井)…子育ても大事、金もうけも大事、仏法を聞くことも大事という程度の一大事、つまり、数ある「大事」の中の一つという考え方。
それが、だんだん聞いていきますと、それは間違いだと、わかってまいります。
すると、今度は「後生が一番大事」ということになってくるのですが、これは、お話を聞かせてもらっていくうちに理解の上にできあがってきた結論なのです。
でも、どこまでも自力の心が破れずに聞いていますから、なにか事が起こると、やはり「今生が大事」になってしまうのです。
-人生の目的-
(増井)…それに対して、本当の一大事。
「後生こそが一大事」となってくると、人生の目的、生きる目的、そのために人生があるのだと腹がすわってくるのです。
ところで、庄松さんという方がいらっしゃった。
非常に熱心な方で、文字も読めないような愚かな方だと言われていますが、信仰では、スパッとした方なのです。
この人が、お寺での説教にお参りの道中で、友達の家に明かりがある。
「まだ参らんのか」「参るどころじゃない。
腹が痛うて、便所に通うておるんだ。
お前がしっかり聞いて、帰りに教えてくれ」まあ普通、「大事にしなさいよ」これが常識ですよね。
庄松いわく「それは一大事! 参ろう! いよいよ近づいてきたんだから、早う聞かねばダメだぞ!」こう言ったというのです。
なにものにも替えられない。
だから人生の目的と申し上げたのです。
このように求めていけば、仏法はガツンと入るんです。
(峯尾)…なるほど、このままで、死ぬわけにはいかない。後生を聞かないうちにはということですね。
-堺の吉兵衛-
(増井)…まあ、そうですね。
堺に吉兵衛さんという方がおりました。
この方が、みんなに嫌われるほど熱心だったのです。
聞きが強い。
とにかく、聞きたくて聞きたくてたまらない人なのです。
もう同行もお坊さんも相手にしない。
ところが、その人が綿を作っていた。
畑に行ってみると、綿がタワワに実っている。
西の空を見ると真っ暗。
雨が降ってくると一年の収穫がなくなるでしょう。
まさしく一大事です。
それを見て「一大事」という言葉を残して、プイッと法を求める旅に出られた。
妻と子を置いて。
(峯尾)…綿を取り込むことをせず、収穫をすることをせず、妻と子を置いて。
(増井)…今生で言われる一大事が、自分には後生の一大事のご催促になったわけです。
そして、三年間聞き歩いて「ダメだったあー」と、帰ってきなさった。
その後に、法友の一人に「吉兵衛に信をとらす人が見つかった」と村のしまい風呂に入っている時教えられた。
そういうお坊さんが近くまで来て説教しておると。
「どこだ」「住吉だ」。
堺からは、そう遠くない。
自分の今日までの悩みを、全部打ち明けた。
ところが、黙って聞いておられたご講師が「吉兵衛、そなたは今、“このままでは死なれません”と言うたなあ。
」「ハイ」「じゃ、死ねたらいいのか」。
その一言で、今までの自分の求め方が、いわゆる雑行、雑修自力のはからい心であった、ということに気がついた。
それでガランと崩れたのです。
そこからなんとも言えない心境が、吉兵衛におとずれてきたのですね。
まさしく後生の一大事が的中したわけです。
そういう逸話がございます。
-三つの心-
(峯尾)…では、その自力を捨てる仕組み、どうすれば捨てられるのか。
あるいは、自力というのが、そもそもどういうものなのか。その辺のお話を聞かせていただきたいのです。
(増井)…これは、吉兵衛さんではないが、ほんとうに後生の一大事に思いをかけるということ。
それは死を取り詰める。
いつまでも生きているのではない。
刻一刻、聞くのは、今、ここしかない、ということで聞かないと、実は真宗の教えはダメなのです。
真宗の教えでなくとも、これは事実なのですよ。
一寸先にどんなことがあるか、お互いわかりませんよ。
それで、そこのところをわかりやすく言うために先輩が苦心して、「三つの心」でもって説明して下さっています。
-黒い心-
(増井)…まず、「黒い心」。
これがテーマである。
「主人の心」。「主人」ですね。
自分というのは。これに目覚めなければならない。
「黒い」というのは、色で表しているのですが、洗っても洗ってもきれいにならない。
今ごろ「炭団(たどん)」と言ったら、ご存じないでしょうが、炭の粉で固めた燃料です。
それを洗うても洗うてもきれいにならない。
それは煩悩です。
聖道門のお坊さん達が、これと闘って、無くしていこうと。
私達は煩悩は垂れ流しなんですよ。
それではかわいそうだというので、立ち上がって下さったのが阿弥陀様。
「煩悩は引き受けた。
お前は無責任に、したいほうだいをやってきた。
私がその責任を全部取りましょう。
そして、煩悩を引き受けただけだったら、仏にはなれない。
仏になるための善根(ぜんごん)功徳も、全部私がやりましょう」と言って下さった。
それで、その黒い心は「お目当ての心」なのです。
仏様から私らに向かっては「お許しの心」なのです。
断ちきっていかなくてもいい、と。
しかし、この心こそが、自分の「主人の心」なのですよ。
それに気づくか気づかないかというのは、なかなか大変なことですから、この三つの心をお話してまいりましょう。
-白い心-
(増井)…「黒い心」に対して「白い心」というものがございまして、これは手あかのつかない純粋無垢な心。
ということは「黒い心」の私には全くない。
どこをさがしてもない。
阿弥陀様が作り上げて下さって、私らを救おうと、南無阿弥陀仏の仏様となられた。
本来なら私共が南無と手を合わせて願をかけるべきです。
それを阿弥陀仏が私に対して、「どうか助けさせておくれ」と南無して下さる。
ご本願を起こし、それが完成して南無阿弥陀仏になって下さった。
そのお心が、私に伝わってくるのが「白い心」即ち「信心」として回向して下さる心です。
それを頂くことによって、煩悩(黒い心)を断ち切らないで、仏になることができる。
「必ず仏にしてみせる」とおっしゃる心をいただくのです。
信じるわけです。
といっても、こちらから信じようとするのではないのです。
これを「もらいもの」と申します。
「拾いもの」「いただきもの」「南無の心」「他力回向の信心」と言ったりしますね。
「信を得る」というと、なにか手でつかむようですけれども、実は仏様から与えられるわけです。
-暗い心-
(増井)…ところが、話の上では、これで落ちていかねばならない悪業の私、煩悩の私と、助けようとおっしゃって下さる仏様が作って下さった白い心。
黒い心と白い心で、チ
ャンとお救いが出来上っているんです。
でも、算用(さんにょう)が合っているけれど、銭が足らんということが一つあるのです。
それが三つ目の「暗い心」。
これは「白」「黒」という色ではない。
どうして暗いかというと、自分が死んでいく先はとなって、後生はと踏み出したら真っ暗。
誰もいっぺんこれは、考えてみなければならないところなのです。
ほんとうに死んでいけるのか。
この世で身につけたものは、みなこの世で捨てていかねばならないものばかりですからね。
そして、それを得るために作ってきた罪、いわゆる主人公はどこへ行くか。
真っ暗な後生に直面してみることが大事なのです。
これをまた「宿善の機」ともいって、真剣に「後生は」と踏み込める人は少ないのです。
遠い過去世からのお手厚いお育てをいただいた人、いわゆる宿善の人でないと、この心に行き当たり、そして悩むことはできません。
たいていは頭の上だけで、落ちる私(黒い心)があるから、助ける仏(白い心)があるのだ。
他力真宗のありがたいのは、これを喜ぶんだと済ませてしまうのです。
ところが、後生に大事をかける人なら、はたしてこんな悪業煩悩のままで救われるのだろうか。
とか、なにかもっと自信につながるハッキリした変わり目がなければダメではないかとなって、「疑い」や「自力のはからい心」となって出てくるわけです。
しかしこの心が、ホンの少しあっても、お救いには預かれませんから、これを「捨てもの」と申します。
疑いは捨てなければならない。
ところが、なんとかして助かりたい、わかりたい、落ちたくない。
自分ではからっている心でありますから、これを捨ててしまったらとうてい救われないのではと。
そうしたら、どうしたらいいか。
-番頭の心-
(増井)…「どうしたらいいか」というのは、自分の頭で答えをだそうとすることでしょう。
それで、これを「番頭さんの心」というのですよ。
主人の心に対して。
主人はなかなか表に出てこないで、番頭さんが一生懸命に取り仕切って、いい番頭さんほど主人は楽ですよね。
ところが、一切番頭任せにしておると「さあ、一大事。
家に火でもついた」となったら、番頭さんは、一番先に自分の荷物を持って逃げますよ。
今までいろんな話を聞いてきていたのは、すべて番頭さんが合点し返事しているのです。
「死ぬぞ」と言われても「死ぬんですな。
そう、人間は必ず死にますよ」「生きていくためには、罪を造らねばならない」「ハイ、その通りです」「後生に一大事があるよ」「ハアー、後生に一大事がございます」このように番頭さんが聞いておったのではダメなのです。
なんとか助かりたいという熱心さが、そういう形となる。
なにも悪気があってやるのではないのです。
自分に受け止めないで、話として聞いてしまうのです。
(峯尾)…それこそ助かりたい。
もっと仏様の教えを知りたい。
そのために自分はこれだけのことを勉強してきたし、こんなこともやってきた。
その考えたり迷ったり、それらすべてが、この番頭さんの心、暗い心につながることなのでしょうか。
(増井)…そうです。
そこがね、とても難しいんです。
だから、その辺の機微というものを「黒い心」「白い心」のほかに、「暗い心」で表しているのですね。
「暗い心」は自力のはからい心だから「捨てもの」。
少しでもあったらダメ。
そして「白い心」が「いただきもの」。
-明来暗去の図-
(増井)…これを「明来暗去(みょうらいあんこ)の図」を、ご覧下さい。
この疑いの時、未信の時に、つまり信じられない時には、矢のように光が家の中を照らそうとしているのですね。
真っ暗がりの中では、真っ黒な自性は知れない。
暗がりだからね。
それで白い心光をいただくしかないのですよ。
今度はいただいた場合、光が少しでも入ったら、千年間の闇(やみ)も消え去っていくわけです。
そうして、見えてくるのがほんとうの主人の心。
真っ黒な自性だったなあ。
恐ろしい心だったなと、わかってくるのです。
(峯尾)…その主人の心、黒い心に気づかない人は、いつまでも宗教とは無縁な存在だということになるのでしょうか。
(増井)…そういうことになりますね。
-獲信のときの一例-
(峯尾)…増井さんは、これまでに多くの方を獲信させたとうかがっているのですが、先ほどもちょっとそのお話がありましたけれども、どんな例があるのでしょうか。
(増井)…暗い心・暗い闇が晴れて、自分の自性が知れてきたというと、たいていの人は号泣しますね。
仏様に申し訳なかった。
いらざる自力のはからいをしておった。
なんの値打ちのない私に「そのまま来い」と、よくぞおっしゃって下さった。
今、初めてわかったと。
それは私自身もそうでしたけれどもね。
私は、一人ひとりに、仏の願いがかかっていて、如来の本願―本願寺は「本願」という名前をつけていますが―一人ひとりに本願が立てられていると思うのです。
だから本願の気づき方や本願のいただき方は人によって違う。
号泣する方もあるかと思えば、肩の荷が下りたとか、なんか笑えて仕方がないとか、それは様々です。
私の娘は、4歳8ケ月の時に聞いたんですよ。
ちょっと常識では考えられませんね。
でも、前生では、もう一息というところまで聞いてきた子だと思いますね。
子供は子供なりの表現の仕方をするのです。
号泣念仏が少しおさまると、念仏の間に、お味わいが入る。
「私が針に刺されねばならんのに、如来さんばっかりが針に刺さってごめんね」と言う。
仏像には光明が四十八本あるでしょう。
それを自分なりに味わったのでしょう。
「お花にも、ろうそくにも、お線香にもなってありがとう」「南無阿弥陀仏にもなってくれてありがとう」。
一昨年亡くなった姉が、かわいがっていたのです。
あまりに激しい懺悔(さんげ)ですから、もう止めさそうと思って「もうこれくらいでいいよ。
如来様はようわかってはるのだから」と言うと、また、すごい念仏が出てくるのです。
その状態がまあ一時間くらいありました。
その後、一ケ月ほどたって、今度もまた仏様の前で号泣念仏です。
懺悔するのです。
「いいかげんなことで、仏様を自分の心へ閉じ込めておってごめんね」と言うのですよ。
そして、今度は女子大生の方が、日曜学校に来てくれる先生、お寺の方でしたが、その人が「わからん、わからん、この暗い心、番頭心が捨てられない」と言うて悩んでいる。
その人に、今度は火を吐くように説法しましたよ。
「そこでグジグジ泣いてんと。
泣いてたかて、信心はいただけへん! 如来様の前へ行って念仏し!私も一緒にお念仏してあげる!」ってもう舌がもつれるのです。
すべて録音に残っています。
さらに最近こういう例もあります。
某大学の先生でお寺の方です。
この部屋で、この机の上に何度も頭をぶっつけて、獲信懺悔なさった方もありました。
それはいろいろですよ。
人によって、みんな違いますね。
-後生こそ一大事-
(峯尾)…ただ、一般的に、宗教的な生活というのは、神仏に助けてもらう道だと多くの人はそうお考えだと思うのです。
今、増井さんにお話をうかがって「後生の一大事こそ大切だ」というお話だったのですが、では、一般的に多くの人の考えていることは、やはり間違いだと。どうお思いになりますか。
(増井)…言いたくはないですけれどね。
私自身もそういうところを通ってきたんでしょうね。
だんだんお育てをいただいて「後生こそ一大事」と、気づかせていただけるようになってきた。
仏様のご苦労は、並たいていのことではなかったと。
的はずれをどれだけやってきたか知れないのが、自分だったと思います。
(峯尾)…ありがとうございました。
(増井)…どうも恐れ入ります。
(文責在編集部)
華光(同人会)入会
宗教法人『華光』の会員(同人会)についての説明はコチラでご確認ください。
機関誌『華光』申込み
華光会の機関誌『華光』の定期購読やサンプル、バックナンバーについて説明します。