命の行き先(後生の一大事)を明らかにしませんか?どんなに力強い心の支えがあっても、もし今晩死ぬとなったら、お金も学問も健康も何の支えにもなりません。
「その死んでゆく先(後生の一大事)はどうか?」を説いているのが浄土真宗です。
華光会の誕生と成長
華光会は、伝統ある浄土真宗の集いですが、一般寺院のような葬儀や法事を中心にした檀家制の会ではありません。
浄土真宗の教えを広めるために創設された求道雑誌『華光』を中心に、誌友の集まりとして始まりました。
自由な信仰活動のために、いかなる教団や組織にも属さず、その他の団体・企業等からの資金の援助も、一切受けておりません。
あくまでも、華光会の趣旨に賛同された個人会員(同人)の会費と、ご懇志、法座活動でのご法礼等で、華光会館の維持・管理、法座運営、華光誌等の伝道活動を行なっています。
それで、機関誌「華光誌」の誌友や一般の方の法座への参加も自由で、華光会館での宿泊法座にも、実費程度で参加いただけるのです。
華光会は、昭和16年に真宗興正派の学頭、故伊藤康善師によって創刊され、今年で半世紀を迎えました。
華光会の信条は
「後生の一大事に心をかけて、弥陀の本願まことの信にめざめること」
であり、この目的のために僧俗や宗派、信仰の有無を問わず、すべての人を受け入れています。
華光会は、老若男女を問わず、教養や身分の差を越えて、真実の信心を追求する集団です。
地縁や血縁に関係なく、自然に結ばれ、聞法と伝道に専念する開かれた同朋集団と言えます。
伝統や形式にとらわれず、上下関係もなく、先に目覚めた者が後進を導く姿勢を大切にしています。
『華光』誌の創刊背景
昭和13年頃から3年間、伊藤師が関わっていた京都の国嶋病院の宗教部が『華光』誌創刊のきっかけとなりました。
当時、国嶋病院は不治とされていた結核に対して『結核かくすれば、必ず全治する』の著者、国嶋博士が開発した自然療法で注目を集めていました。
伊藤師は患者の心身の安静を図るために宗教指導を行っていましたが、念仏の信仰が患者や医師たちの間で広がり、治病のための信仰が信仰のために命をかける人々へと変わっていきました。
そこで、伊藤師は病院を離れ、求道者たちの信仰指導と法味交流のために『華光』誌を発刊しました。
華光会の成長と発展
前代表の増井悟朗も国嶋療法の恩恵を受け、伊藤師の主著『仏敵』に導かれ療養中に信仰を得ました。
龍谷大学に進学後、龍大や京女大(当時の京都女子専門学校)の学生たちの間でも信仰が広がり、学生が布教の第一線に立つことで急速に発展しました。
当初、『華光』誌の編集局は興正寺本山内にあり、信仰座談会が婦人会館などで行われていました。
会員の増加に伴い、全国の誌友同人が合宿して聞法する華光大会が開催されるようになりました。
参加者が増えると集会の不便が生じ、昭和32年に現在の華光会館が聞法道場として創建されました。
同時に「華光会」という単立の宗教法人として発足し、今日に至っています。
華光会の歴史
1941年 | (昭和16年) | 11月 | 信仰雑誌「華光」創刊。11月15日(第1巻1号)。 国嶋病院(患者、付添い、病院関係者)を中心にした文書伝道の始まり。 |
1943年 | (昭和18年) | 4月 | 第1回華光大会(二条陣屋編集部)(以後、現在まで毎年開催)。 和歌山、豊岡、江州各地で草の根的信火盛ん。 |
1946年 | (昭和21年) | 龍谷大学生を中心に本格的な布教活動始まる。 (月例会-法話会及び信仰座談会など)~S26(1951) | |
1946年 | (昭和21年) | 7月 | 伊藤、芳川仙作(北摂病院院長)を経て、増井悟朗、 『華光』編集を引き継ぐ。 (第5巻3号~第50巻4号まで。第51巻より増井信) |
1949年 | (昭和24年) | 9月 | 第一回「全国華光法話大会」。(於:興正寺婦人会館、23日~25日) 和歌山、豊岡、江州各地で草の根的信火盛ん。 奈良等で夏季講習会も開催される。 |
1957年 | (昭和32年) | 3月 | 華光会館(南区十条)に完成。 |
1958年 | (昭和33年) | 10月 | 浄土真宗「華光会」宗教法人に登録。(10日) |
1962年 | (昭和37年) | 4月 | 子供大会など子供会活動が盛ん。信火が青少年へも波及。 各地の信仰が、「同人」活動として活発化 ~40年代 |
1990年 | (平成2年) | 11月 | 『華光誌』創刊50周年。 |
1996年 | (平成8年) | 10月 | 華光会館再建 |
2001年 | (平成13年) | 1月 | 伊藤康善先生三十三回忌法要(華光報恩講と併修) |
華光会の創始者・前代表
創始者:伊藤康善師
華光会の創始者。真宗興正派学頭。
正安心の三つの目安
自分の信心が、正しいかどうか。それを決めようと思うと、三通りの方法があります。
まず第一は、お聖教を中心とする。
次には、自分の心をながめて、本当に受けておるかどうかを反省する。
第三には、信心を決定した同行や知識に会うて、「わが信はいかに、人の信はいかに」と聞かせてもらう。
この三通りの区別ですね。
これを仏教の専門語では、聖教量(しょうぎょうりょう)・現量(げんりょう)・比量(ひりょう)と申しております。
この中で一番大事なのは、聖教量、お聖教の言葉です。
そう言うと、皆さんの中には、いくらお聖教が大事でも、それを体験せんことにはダメだから、「体験、すなわち現量が一番だ」という人がいるでしょう。しかし体験を強調すると、聖教量、お聖教の言葉の上から批判された場合、返答に窮することもある。
だから、一応お聖教をよく心得ておく必要があるのです。
-北米・麻生師宅の報恩講法話テープより-]
略歴
[1897年(明治30年)]
奈良県新庄町「當専寺」で出生。
[1916年(大正5年)]
仏教大学(現龍谷大学)入学。
[1918年(大正7年)]
春大和野口村(野口道場)堀尾よしの許で入信(仏教大学3回生20歳)。『仏敵』執筆開始。
[1921年(大正10年)]
仏教大学(現龍谷大学)卒業。上京。「真宗宣伝協会」(野依秀市会長)入社。松岡譲など文壇人との交流あり。仏教ジャーナリストを目指す。『真宗の世界』に『仏敵』連載。
[1929年(昭和4年)]
「真宗公論社」主筆。(戦後、興正寺本山の機関紙となる)仏教信仰雑誌『真宗公論』を発行(昭和4年~18年)。『中外日報』に、教界諸氏『安心調べ』を掲載。
[1938年(昭和13年)]
国嶋病院(京都市上京区大宮薬師山)に宗教部設置。自然良能社設立。雑誌『良能』を刊行。(「治病は一大事業なり。六尺病床これ道場」をスロガーンにした、結核病治癒の国嶋療法での病院伝道始まる。)
[1941年(昭和16年)]
国嶋病院が軍部に収監される。宗教部解散。信仰雑誌「華光」創刊、国嶋病院(患者、付添い、病院関係者)を中心にした文書伝道の始まり
[1942年(昭和17年)]
「華光社」を創立。
[1957年(昭和32年)]
伊藤師、中外日報嘱託として、渡米布教。『中外日報』に「北米赤毛布旅行」連載。
前代表:増井悟朗 師
宗教法人 華光会前代表。2015年(平成27年8月)逝去(90歳)
1925(T14)年大阪府生まれ。龍谷大学研究科(真宗学)卒業。浄土真宗華光会元代表者。
商家に生まれる。浄土真宗の信仰に篤い母に育てられる。青年期、病をきっかけに後生 の一大事の解決を求めて、真剣な聞法求道が始まる。求道体験書である『仏敵』(伊藤康善著・春秋社刊)に出会い、絶対安心の他力の世界に入る。以降、僧侶となり、全国の念仏同人を結んでいた信仰体験雑誌『華光』誌(昭和17年創刊)の編集を引き継ぐ。その活動は、活字を超え、人から人へ、法座活動が草の根的に発展し、昭和32年、京都に華光会(昭和32年)が創立される。今日に至るまで、終始一貫して、聞法・求道の焦点を定めた伝道活動を精力的に続けられた。平成27年8月にご往生。
著書
- 『三帖和讃講讃(上・下)』(白馬社)
- 増補版『念仏の雄叫び』『廻心の体験』(以上、法蔵館)
- 『宗教とカウンセリング』(共著、永田文昌堂)
- 法話集『親指のふし』『後生の一大事』『冥加について』『華とひかり』『無碍道』、編著『子どもの聖典』(以上、華光会)
- 法話DVD「なむあみだぶつのこころ」「じょうどへのあゆみ」(華光会)、他。
- NHK教育TV『こころの時代』やラジオなど出演多数。
生活のために聞くのではない
今は、人間関係をやかましく言う時代です。物も満ち足り、医療も発達して、なかなか死なない。年寄りも増える。
それで人間が角を突き合わせ、鼻を突きつけて生活せねばならなくなってくる。でも、その中から何が生まれるか。
どれだけ仲良く親しくお付き合いをして、気持ちのいい生活を送っても、仏になる種にはならない。地獄に落ちて、迷っていく種でしかないわけです。
だから、「いい話を聞かせてもらった。短い一生や、いつまでも生きると思わんと、仲良く暮らさなあかんなあ」という程度のお説教の聞き方では、意味がないのです。
それでは、人間関係をよくするための聞法にすぎない。
また、「そうではないんだ、後生の一大事を聞くんだ」と言いながら、「すみません、浅ましいやつ、恥ずかしいやつです。我が折れません。欲も断ちきれませんし、すぐ腹も立ちますし」と言ったりしていませんか。
それは、腹を立てたくない、欲を起こしたくない。我を折りあって、いや折りあってではなく、向こうを折らせて、こちらが我を張ってもスムーズな日暮らしをするために、法悦の仮面をかぶった生活ができたら、「ああ、今度のご縁に会ってよかった。」といった聞き方ではありませんか。
それを性懲りもなく繰り返していませんか。
-永代経法話テープ『後生の一大事』より-」
法人概要
名称 | 宗教法人 華光会(けこうかい) |
所在地 | 〒601-8433 京都府京都市南区西九条東柳ノ内町22 |
電話 | 075-691-5241 |
FAX | 075-661-6398 |
電子メール | support@kekokai.or.jp |
法人成立年月日 | 昭和33年10月29日 |
活動内容 | 仏教伝道、布教、法座活動、仏教叢書の発刊・販売 |
華光会の会員組織(同人会)
華光会に入会すると同時に「同人会」に入会したことになります。
華光会では、この会員の組織「同人会」が法座や行事などで活動しています。
同人会員の特典
- 機関誌「華光誌」の無料配布: (年4回)定期的にお届けします。
- 法座・行事参加の割引: 「聞法旅行」「真宗法座の集い」などの会費の割引、「報恩講」「永代経」「華光大会」の参加費半額。
これらの法座活動に会員価格で参加いただけます。 - 法座案内・同人会ニュースの送付: 活動の最新情報をお届けします。
- 総会での議決権: 華光会員として1人1票の議決権を持ち、総会では詳細な会計報告が行われます。
- 支部の結成: お住まいの地域に同人会員が5名以上いる場合、支部を結成し活動を展開できます。
華光会からの講師派遣や情報提供などの支援を受けることができます。
支部長は、支部長会議や研修会に出席し、本部との連携を図ります。
また、定期的に支部ごとでご法座もおこわなれています。詳細は各支部法座の行事案内をご参照ください
華光(同人会)入会
宗教法人『華光』の会員(同人会)についての説明はコチラでご確認ください。
機関誌『華光』申込み
華光会の機関誌『華光』の定期購読やサンプル、バックナンバーについて説明します。