説明
<案 内>
大正期、一仏教徒として、真剣に法を求めて苦悩し、ついに信心獲得に至るまでの若き日々の求道を綴った体験記録です。
信一念の獲得体験を通して、真宗の真髄を教える真実の指南書として長年にわたり、多くの人々を導き続ける不朽の名著。
現代かな遣いに改訂されて、待望の復刻!
<目 次>
第一章 生々流転の巻
第二章 田園の念仏者
第三章 法喜に輝く人々
第四章 学園を乱す者
第五章 火中の清蓮華
第六章 信疑の白兵戦
第七章 不可思議光の諦聴
第八章 光号の因縁
第九章 深信の徹底
(男性、愛知県) –
一人の純粋な青年と、素朴な念仏衆との邂逅が思わぬ展開を生む。
真宗書としてはもちろん、単なる文学作品としても非常にハイレベルな一冊。
(90代 女性 新潟県) –
私の家では、朝顔を洗って一番に御仏様に南無阿弥陀仏と合掌する習慣でした。
本屋でこの本を見つけ、仏の敵とはどんな事だろうと手に取りました。一人で生れて来て、一人で死んで行く事が何とも考えれば考える程わけが解らなく、聞きたくなりました。
生死無常の世界、仏法を聞かせて頂くために生れて来たと知らされました。
(50代、女性、米国) –
私が問われ、私と向かい合う、そんな気にさせられました。
美しい文章が散らばっていて楽しめました。
因みに野口道場に登場されるような方々は華光会には、わんさとおられます。
(40代、男性、兵庫県) –
30年の歳月を「仏敵」を再読するご縁を戴いた。大正・昭和・平成の時空を越えて、この瞬間(刹那)に、今、生きる私に叫び続けて下さる絶対力(他力)を知る。
詩的で、絵画的色彩にも溢れる文学的な表現、知的で奥深い哲学的・宗教的な語彙など、無学浅才で凡人の私には、憧れこそすれ、難解な書物である。しかし、それらは選び抜かれた一句・一節のことばであることは分かる。
難解な書物が、お同行さんの生きたことばを通じて、私の姿(本性)を浮き彫りにしてくれる。「阿弥陀さまのご本願に相応しないのが、大罪人や。その大罪のために、久遠劫より迷ってきた」…わたしを。それを疑ってこねあげる「真実な罪業の塊」を退治していただける。ありがたいことです。もったいないことです。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏
(女性 京都府) –
「ほんとうに私が救われるのか?」
「阿弥陀様の四十八願のお誓いは、お前を除くとおっしゃったのかい?」
疑心一杯の私の心に、野口村の同行信者の尊いお説法が響く。
弥陀の光明に照らされて、赤子のように、私はただ聞くのみ、信じるのみ。
「仏敵」は読む毎に、ますます極悪人の私を知らされ、私にかけられた仏様の本願に身をおまかせするのみです。ありがとうございますとお礼申し上げる他に、なにがありましょうか。
南無阿弥陀仏
(40代 男性、富山県) –
瀕死の老婆の血を吐くように激しい説法に驚く。一癖も二癖もありそうな田舎の無骨な人々が、夜を徹して集い、心のドン底から他力の信心をよろこび、仏徳讃嘆し合っている。こんな世界が本当にあったとは!