領解文について
| 著 者 | 増井悟朗 師 |
| 掲載号 | 華光誌 55-3号 平成8年7月発行 |
「平生のとき善知識(ぜんぢしき)のことばのしたに帰命(きみょう)の一念を発得(ほっとく)せば、 そのときをもって娑婆のをはり、臨終とおもふべし」(執持鈔 第五章)
はじめに
このご文は、本願寺三代目門主の覚如上人の『執持鈔(しゅうじしょう)』の一節です。
『執持鈔』は57歳の著作で、前4章で親鸞聖人のご法語を味わい、最後の5番目は、ご自身の安心、お味わいを述べておられます。
このご文は、その5章目の一節です。
今回は、親鸞聖人から始まった真宗のご法義が、覚如上人のおかげで大変まとまり、さらに蓮如上人によって大衆化されたあたりを、くわしく申しあげたいと思っています。
葬式に用事なし
このご文は、「信心獲得したときが、迷いの打ち止めで、心の葬式だと思え」というのです。
さらに覚如様は、それこそが迷いの魂の葬式なんだから、肉体の葬式は二の次だよということを『改邪鈔』(がいじゃしょう)でおっしゃっている。
この『改邪鈔』は、68歳の作で、20カ条にわたって、当時の真宗のお寺や門徒の行儀、そして安心上の邪義を打ち破って、親鸞聖人のご正意はこれだと顕わす、破邪顕正(はじゃけんしょう)をされたものなんです。
その第16章に、聖人のご持言(じげん)-平生からよくおっしゃったお言葉が示されている。
「某(それがし)、親鸞、閉眼(へいがん)せば、賀茂河(かもがわ)にいれて魚(うお)にあたふべし」と。
だから覚如様は、肉体の葬式は二の次で、往生浄土の信心を獲得することこそが、聖人のご正意だと明言されている。
このことは、また仏教の正道でもあって、お釈迦様のお心なのです。
ですから、各宗派のご開山は、天台宗であれ、禅宗であれ、葬式にお経を使いなさった方は一人もおられない。
それだのに時代が下がるにつれて、仏教が葬式の道具に使われるようになった。
嘆かわしいことです。
だが今だって、そういう時代ですね。
覚如上人のご苦労
三代目の覚如様の時代も同様だったのです。
それを戒めて、親鸞様のご本意は「平生業成(へいぜいごうじょう)」なのだ。
臨終を待つことなく、来迎をたのむこともない。
平生の時に迷いの心をブチ切って、浄土往生の身になることが、聖人のご一流なのだと。
この「一念帰命」と「平生業成」を強調してくださったのが覚如上人です。
その当時、本願寺の基盤はまだ確立されてなかったのを、覚如様が頑張って、聖人の血筋と安心、つまり血統と法統が、共に正しく連綿としてつながっているのが本願寺なのだと、強調しなさったのです。
聖人没後の真宗は、どうなっていたかと申しますと、聖人ご自身は、「弟子一人持たず」「本寺、本山などには用事はない、いやなことだ」と言われていました。
もちろん真宗のご開山は、法然上人だとも断言してなさった。
それが死後、お弟子達によって一宗のご開山になってしまった。
謙譲な方の徳を慕って、人の集まるのは世の常です。
それでまず仏弟子が後継者になった教団が、本願寺以外にもあって、一番勢力が強いのが高田派です。
さらに分かれて仏光寺派というのが、覚如様当時はもちろん、蓮如様のころには大繁盛していました。
極難信の他力信心
もともと真宗のご安心は、極難信の法で、浄土に往生するのは「往き易くして、人なし」といわれて、他力の信心を決定するのは大変なことです。
反対に自力の信心は易しい。
努力すればいいのですから。
でも懸命に努力して聞ける法ではない。
その努力こそが、自力の心として捨てなければならない。
というよりも、これが信心だと決めようがない。
聴聞の間は助かっているようだが、生活に返ると信心は跡かたもない。
あわてて説教やお聖教の中を探す。
するとしばらくは保てるが、すぐに無安心になる。
今日、私共が想像しても、当時は大変なことだったでしょう。
そこで各本山としては「信心とはこれだ」と示す必要がありました。
仏光寺派の隆盛
特に仏光寺派なんかは、覚如様のころ以上に蓮如様の当時は、名帳と絵系図による伝道方法が確立されていました。
その「名帳」(みょうちょう)というのは、門徒にとっては、極難信などと悩む必要はないのです。
自分の名前が名帳に記入された時が「一念発起」(いちねんぽっき)なのだというのです。
だからご安心はお金で買えるわけです。
しかし、それを保証する方法が、「絵系図(えけいず)」というものです。
つまり阿弥陀様の具体的なお姿こそは、絵系図に描かれた坊主であって、その絵系図には、親鸞聖人からはじまって、各末寺の坊主の肖像が系図風に描かれています。
だから、その絵系図の坊主が、名帳によって門徒の往生の与奪権を握るという仕組みであります。
従って仏光寺は、これで末寺の統制と経済の確立とをはかったわけです。
もちろんこれは、親鸞聖人の正意をねじまげたものですから、覚如上人は、『改邪鈔』(1章・2章)で鋭く批判して「祖師一流の魔障(ましょう)」とか「付仏法(ふぶっぽう)の外道(げどう)」と非難されています。
蓮如上人当時の実情
ところが当時の本願寺の信心についての指導は、「他力信心は極難信で、金で買えるものではない。邪義に惑わされず、聖人のご正意をいただかねばならない」と、厳しく説いていました。
でも厳しく説けば説くほど、人は寄りつかなくなります。
その辺りは華光誌の誌上講座(49巻3号)に「吉崎までの蓮如上人」で書いたことがあります(『増補版・後生の一大事』収録 )。
やがて蓮如様は、八代目のご門主となるのですが、本願寺は、貧乏暮らしのどん底でした。
しかも幼少期は、まま母にいじめぬかれ、その中から必死に求道と勉学にはげまれたのです。
しかしその苦難の生活が大きなバネとなって、門主就任をさかいに、本願寺は急速な発展をとげることになりました。
しかし、その発展の原動力が、御文章によるご教化であったことを見逃してはならないと思うのです。
その御文章の核心は、
(1)後生の一大事に心をかけること
(2)自力他力の水際をはっきりすること
この二点を求道の要点として主張していなさると味わいます。
その点、領解文には、次の四点にまとめて、真宗門徒の用心を明示されていると見ることが出来るのです。
(1)安心(あんじん)(2)報謝(ほうしゃ)(3)師徳(しとく)(4)法度(はっと)です。
そこで以下は、この領解文について思いつくままにお話をしてまいります。(1)もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)自力(じりき)のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御(おん)たすけ候(そうろ)へとたのみまうして候(そうろ)ふ。
(2)たのむ一念のとき、往生一定(いちじょう)御(おん)たすけ治定(じじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。
(3)この御(おん)ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御(ご)開山(かいさん)聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承(しだいそうじょう)の善知識のあさからざる御勧化(ごかんけ)の御恩と、ありがたく存じ候ふ。
(4)このうへは定めおかせらるる御掟(おんおきて)、一期(いちご)をかぎりまもりまうすべく候ふ。
領解文の師徳について
その内容を順序立てて申し上げる前に、話しておきたいことがあります。
それは、三番目の師徳ということです。
「この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人御出世の御恩」、これはまあ、文面どおりわかるのですが、その次の「次第相承(しだいそうじょう)の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ」。
これはちょっと説明が必要でしょう。
次第相承とは、代々続いてきたということ。
次の善知識とは、本願寺のご門主のことをいうのです。
蓮如様は、ご自分がご法を聞かせていただけたのは、ご開山がこの世へ出てくださったおかげさま。
そしてそれを散逸させないように、貧乏暮らしをしていても信心を曲げないで正しく受け継いでくださって、八代のこの蓮如のところまで届けてくださったご門主方のご苦労だった。
そのお蔭と有難く存じ候。
これが蓮如様のお領解文の師徳ということなのです。
その内容を詳しく申しましょう。
歴代ご門主の御恩
あることで、本願寺の歴代ご門主のご消息-御文章-お手紙を調べたことがあったのです。
それを読んでいくうちに、蓮如様のいわれる「次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩」がどんなものかわかってきたのです。
多分、それは側近の学者さんに書かせたものもあるかもしれませんよ。
でもね、親鸞聖人のご一流を、蓮如様のように間違わずに御文章にしてなさるのです。
頭が下がりました。
美辞麗句を並べてなさるご門主とか、ゴツゴツした御文章の方もいらっしゃるが、どなたも信心正因・称名報恩を主張されている。
しかも「極難信であるぞ。これを聞かなかったら千載一遇の好機を逸して、出る息入る息を待たない大無常の中で、後生の一大事を取り違えては大事ですぞ」と、いったふうに書いてなさる。
もちろん、蓮如様の前も後も、その姿勢に変わりはないのです。
あらためて蓮如様のいわれる師徳を考え直させられました。
当時、葬式・法要・儀式にかこつけたり、ご安心が分からないからといって名帳信心に走ったりしないで、「しかと阿弥陀如来と私が向き合って、南無阿弥陀仏のおいわれを聞きひらかせていただく時がなかったら駄目だ」と、かたくななまでに正統-間違いのない信心を守り通してくださったということに、私は頭が下がったのです。
七高僧様の御恩
この私共の知らないお手回しは、この他にも一杯あるわけです。
例えば七高僧様のご苦労が、私共の全く知らないところで親鸞聖人のみ教えに流れ込んでいるのです。
仏教の究極の目標は、仏になることであります。
浄土真宗たりとも成仏をぬきにはできません。
自力ではないが、他力によって成仏させていただく。
自力というのは、従因至果(じゅういんしか)といって、自分の修行の因により、仏果に至るという。
自分の努力で仏になるべき因を蓄えて仏果をひらく。
この成仏の方法を、七高僧様の中で結論づけられた方が道綽禅師(どうしゃくぜんじ)です。
聖道門と浄土門に分けられた。
その前の曇鸞(どんらん)様は、これを自力と他力に分けられた。
さらにさかのぼると、龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)は、難行道と易行道と示しておられる。
それらを集大成して、お釈迦様の一代仏教を聖道門と浄土門に、はっきりと二分類して、私共の進む道は浄土門しかないと示してくださったのが道綽禅師であります。
真っ暗がりの荒れ野原の中を迷っている私共に、はっきりと灯明をかかげて、「こっちへいらっしゃいよ」と道しるべを出してくださったのが、この七高僧のご苦労なのです。
それは、信心獲得の体験の上から、膨大な仏教を読み破るお力をお持ちになって、これをお書物として残してくださったのです。
『教行信証』から蓮如様への展開
ここをご自分の善知識として七高僧を仰がれ、そのみ教えを集大成なさったのが、親鸞聖人の『教行信証』なのです。
七高僧の教えのままに真実の教、真実の行、真実の信、真実の証というものをお著しになったのです。
でもそれは難しい。
行巻の終りにあるのが、お正信偈でしょう。
その正信偈すら難しい。
漢文です。
しかし浄土のみ教えのエッセンス、しかも聖人の体験告白ですから、これをしっかり聞かせてもらうために、蓮如様は、朝夕のおつとめとして制定してくださったのです。
私共には、従因至果ではなく、従果向因(じゅうかこういん)でないと駄目なのです。
この果は阿弥陀仏、その阿弥陀仏が私の所に降りてきてくださって、因から果に向かえる種(因)を私に与えてくださる。
浄土往生の力になる、活力になる根源である南無阿弥陀仏が、信心となり称名となってくださると教えてくださった。
それが、七高僧であり親鸞聖人です。
だから、私達はたやすく聞かせてもらえるのですが、知らないところでここまでのご苦労があるのです。
それを聞かせてもらうと、私共に求める心も起こり、頂きものの偉大さを知って力がわいてくるわけです。
それを今、蓮如様を通してさらに平易に聞かせてもらっています。
蓮如様は、「後生の一大事」と「自力他力の捨て物と拾いものがはっきりする」、というようにお示しになったのです。
琵琶湖のたとえ
伊藤康善先生は、この祖師方のご苦労を琵琶湖(びわこ)のたとえで書かれています。
「この宇宙法界にはたくさんの水源がある。
衆生の心を潤してやろうという如来様方のご苦労が、七高僧の浄土の川となって、琵琶湖に流れ込んできてくださった。
琵琶湖は親鸞聖人の『教行信証』にあたる。
この集大成された浄土教を、本願寺三代目の覚如上人の主著を通じて「一念帰命」「平生業成」の瀬田川の水として放流された。
「平生のとき善知識のことばの下に、帰命の一念を発得せば、その時をもって、娑婆のおわり臨終とおもうべし」と。
これで迷いの根源がぶちきられていく。
その水を受けて、八代目の蓮如上人が「『御文章』」を通じて、一般民家の飲用水として、また電化設備にもされた。
このように、この法門が世間的に大衆化されるのは、一朝一夕で出来たものではない」と書いていなさる。
こういったことが、お領解文にある蓮如様の「師徳」という内容であります。
後生の一大事
さて、領解文には、「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみもうして候ふ」から始まります。
しかしこれを今日は情けないことに、問題にしようとしないのです。
「後生の一大事」とか、「自力他力の水際をはっきりする」といったら、まるで異端扱いされるのです。
西本願寺では、今から約200年前に幕府によって、宗門が取り壊されかねないほどの大問題が起きたのです。
「三業惑乱(さんごうわくらん)」といって、約10年間も続いたのです。
その後遺症を長く引きずってきたのです。
しかし、それを考えるにつけて、このお領解文は素晴らしいものだと私は思うのです。
だが現在、このご法義どおりにお説教してなさる僧侶が、雨夜の星のようになってしまいました。
このお領解文をあげるお寺なんか、今時ほとんどありません。
代わりに唱和しているのが、本派では大抵「生活信条」です。
ご開山や蓮如様のご苦労が、私達の生活のためにあるのではないのです。
強く明るく生きたり、サンゲや感謝や社会奉仕等のためでもない。
実に、後生に往生させていただくために、しかもそれを平生の時に決めさせていただくためのご苦労じゃないのですか。
それが安心とか信心ということじゃないですか。
生活というのは、その後のことなのです。
雑行雑修自力の心をふり捨てる
雑行とか雑修とかいうと、雑巾や雑木みたいに汚いもの、安っぽいものと思うのですが、実は立派な浄土往生のための善根功徳であります。
でもそれは私共には出来ません。
いらん、捨てなさい、と言われたのが蓮如様。
「雑行雑修自力のこころをふりすてて」その前に「もろもろの」とありますでしょう。
どんなこともいらないのです。
往生のためには、本を読むこともお経様をあげることも、人に法をすすめ法を説くことも、お金をあげることも、そんな善根功徳は、私には一切もちあわせないから猿真似せんでもよろしい。
私の力で仏になることはできないのだ。
その雑行も雑修も、行であります。
その行にともなっていくのが、自力の心。
しかし私共は雑行も、雑修もできない。
万善万行などはおよびもつきません。
ウソはつく、腹をたてる、愚痴は言う。
人からもらったものは、礼を言ったらしまい。
親のご恩もすぐ忘れる。
子供にしてあげている恩は忘れません。
根性をブチまければ、ここに座っていられない代物です。
きのうの分級座談でも、父に対する反感反逆、その心のいやらしさから信仰に入った方がいらっしゃった。
でも私には、そんな心しか持ってないのです。
私共は、阿闍世(あじゃせ)や提婆達多(だいばだった)と同じ心しかない。
しかも雑行も雑修も出来ないが、自力の心だけは立派に持っています。
つまり、聞きたい、分かりたい、仏になりたい。
あの人みたいな心境になりたい。
なぜか。
雑行や雑修が出来んとなれば、地獄へ落ちていかなければならない。
そこで、なんとかして助かりたい。
極楽は行かなくてもかまわないが、信心をいただいて三悪道に落ちない身になりたい。
仕上げたい心がいっぱいです。
それを蓮如様は、その自力の心をふり捨てなさい。
そんなものがあったら如来のお救いにはあずかれんぞ、つっぱりをみな捨ててしまえとおっしゃるのです。
領解文の意義
初めに言い落としましたが、西本願寺では「領解文(りょうげもん)」、東では「改悔文(がいけもん)」と言います。
改悔とは「間違っておりました」と悔い改める意味。
領解というのは「このように受領し、理解しました」ということ。
それを如来様、ご開山様の前で、はっきり口に出して言い切る。
すると、未安心者は、ウソつきだと分かってきて、心はいたたまれなくなって、言葉通りになろうとする。
また獲信者も、誤りはないかと仏前に自分のお味わいを述べます。
そのために、ひとつの型をこしらえてくれたのが領解文であります。
口で言っていても、そらぞらしい。
お味わいも出てこない、喜びも出てこない。
なぜこんなこと言っているのだろうかという気持ちさえ出てくる。
声に出して述べていくことによって、正しい道にしつけられてくるのです。
口にすることは、責任がともないます。
この世のことならウソも通せるが、臨終を今に取り詰めて、出ていく後生となると、そうは許されません。
そこで、この信仰告白の型を考えだしてくださって、型にはめて型から出ていけるように、しかも早く、そして間違わさんようにと、蓮如様が考えに考えて、これしかないという信仰の道のエッセンスを打ち出してくださったわけであります。
しかも、一同で出言するので、「われらが」となっていますね。
安 心
ところで、「自力の心をふりすてて」とか、「今度の一大事の後生御たすけ候へとたのみもうして候ふ」という。
その「ふりすてて」というのも、なんか自分で捨てるようだし、「たのみもうして候ふ」というのも、自力でたのむようである。
けれども本当に聞かせていただいたら、そうしか言われなくなる。
そこまで言葉と体験とを一つにしなさい、というお心が背後にあるわけです。
断言してはばからん。
「私は、おかげさまでいただきました。救われました」と。
ところが、そんなこと言ったらおこがましいとか、晴れがましいとか、自慢たらしいとか思う人がいるでしょう。
でもそんな遠慮は人間的なことであって、いよいよ後生となったら、こう言わにゃおれんのです。
そこを型に出してくださったのです。
言行一致といいますが、信心のうえでは、これがピシャッといえるのです。
生活のうえでは私共は、心口各異(しんくかくい)、言行不一致なのですがね。
報 謝
こういう型を「今度の一大事の後生、御たすけ候えとたのみもうして候ふ。
たのむ一念のとき、往生一定、御たすけ治定と存じ」、これで往生は決まってしまうのです。
そこで、「このうへの称名は、御恩報謝」に切り替わるわけです。
そして「このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候」と、真宗の大事なご法義は、信心正因・称名報恩で、ここで一区切りする。
念仏で助かるのではなくて、たのむ一念で助かっていくのです。
信心ひとつで往生の身が決まる。
そこで「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏様が、ありがとうございますと出てくださる。
喜ばずにおられません。
そういう意味の言葉なのですよね。
そこを「よろこびまうし候ふ」とある。
安心、報謝。
そしてこの後が、師徳と続いて、最後に法度となります。
師徳から法度へ
「この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。」と師徳が述べられて、おかげ様、なみなみならぬ御教化のおかげですと、この辺りは、先に詳しく述べたとおりです。 「このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。」「御掟」とは、御文章に定められた制約などのこと。
行儀よくいたします。
一生涯お約束を致します。
私は、自力では治めようのない悪業の持ち主。
この悪人めがけてのご本願のおたすけをたのむことから、ご恩報謝のお念仏が出る身となった。
これは並々ならぬご恩徳です。
しかし腹底は依然悪人のままだが、やりたい放題では、この大幸福を人には聞いてもらえません。
そこでご親切に、ここに法度まで守らせていただくことが出来るのです。
だから、この「法度」は、今日でいう「生活信条」に当たってくるのです。
四枚の雨戸
したがって、安心、報謝、師徳、法度を四枚の雨戸に例えてみましょう。
まず、最初の安心の雨戸を、戸袋にきちっと納めてなかったら、二枚目、三枚目、なお四枚目は入りません。
最初の安心をきちっと詰めると、自然の流れで後が続いていくわけです。
物をもらったら、自然とお礼が出るのです。
そして悪業煩悩が直らないままに、たしなみの心となって出てくださるというわけです。
教界の現状はどうか
一番最初は、ご安心の所をピシッとおさえなければいけないのに、今ごろは「後生の一大事」も言わず、「捨てもの・拾いもの」も教えず、ただ「お陰様で、感謝の日暮らしを」と教えています。
それでは、生長の家や天理教と変わりはしないですよ。
感謝と懺悔だけが真宗の信仰ですか? その感謝や懺悔のよって来たるところは何ですか? これを聞かねば、いくら感謝や懺悔の生活を送っても、臨終はワーッと落ちていかなければならないのです。
この一大事があるではないですか。
「信心決定せずば、後生は地獄へ落ちていくぞ」と教えないで、お葬式ばっかりに力を入れているのです。
中には、臨終勤行(枕経)にも参らんお坊さんがおるらしいのです。
仏教では、臨終後でも、耳だけは生き残るというのです。
今の新しい医学でも、それが実証されているのだそうです。
葬式の時に、家族が遺産相続の争いをしたり、葬式金をけちったりしているのを死人が「悔しいな」と聞いているのです。
それより、平生仏法を聞かなかった人には、せめて、耳元で念仏を怒鳴ってあげる方がよい。
それで枕経というのが残っているのです。
だけど金づちでたたいても返事できないようでは遅いから、まだ居眠っていてもよろしいから、平生の時に聞かせてもらおうではないですか。
「落ちるぞ」と聞かされるから必死になるのではないですか。
この「後生の一大事」を抜きにして、死んだら極楽とか、お葬式を立派にさえすればいいとかと、お寺さんに金儲けさせているようなことでは、昔の仏光寺派さんと変わらないではないですか。
いつのまにか、情けないふうに切り替わってしまいました。
それを蓮如様の時代に帰して、「後生は一人しのぎ」の法にさせてもらおうというのが、華光会のささやかな信仰運動であります。
はじめに従果向因と申しましたが、私一人のために、どれだけのお手間がかかってきたかということをご讃談したようなわけです。
千代女の歌
お領解文について、加賀の千代さんという強信な俳句の名人が、安心・報謝・師徳・法度を春夏秋冬に例えてよみこんだ句があるのです。
それを最後に申しあげます。
まず春の句で、
「開くとき 木の実を結ぶ 梅の花」(安心)
梅の花が咲いた時には、すでにメシベの元がふくらんでおる。
信を決定させてもらった時に、往生一定御たすけ治定と、信と証(さと)りとが同時に起こるという、真宗の平生業成のご法を、梅の花になぞらえてよんだものであります。
そして夏が、
「五月雨(さみだれ)や しげきなかにも 咲くあやめ」(報謝)
五月雨を煩悩にたとえている。
シトシトと降って止まない。
止んだかと思うと又ふりしきってくる。
それが私共の黒い心。
にもかかわらず、降れば降るほどアヤメの花の色が美しくなる。
煩悩がお念仏のもとなのだと、ご報謝の夏をよみこんだ句です。
しかしこの咲くアヤメの所だけが欲しくて、ありがとうなりたくて、お念仏をほれぼれと出そうと、一生懸命にそこに力をいれよとする人が多いのですが、梅の花が咲いてなければことははじまらんと、先程申しましたね。
秋は、案外知られた句でして、
「幾たびも お手間かかりし 菊の花」(師徳)
菊を作ったことはないが、ずいぶん手間のかかるものとか。
私に聞く耳が与えられて、ご法が徹底できるまでには、幾たびも幾たびもお手間がかかっておった。
従果向因の-聞かしてやろうと階段を降りて、お釈迦様から七高僧様方となり、親鸞様、覚如様、蓮如様に至るまでの間、どれだけ私の機に応じて、私の心にあわしてご苦労してくださったことか。
そこに師徳というものがおのずと出てくるわけです。
最後に、冬の句として、
「重くとも こらえてもてや 雪の竹」(法度)
竹の上に雪が降りしきります。
ワアーと竹はしなる。
折れそうなのだけど、聞かせて頂いた竹は折れません。
どんなに重圧がかかって苦しみの中にあっても、こらえて持つ力をいただいておる。
それが生活規範になって、このご法を聞いてもらうためには、したい放題では家族の者も身内の者も聞いてもらえません。
おのずからそこに、わが身をたしなもうというお力が加わってくる。
これも他力のおかげです。
最初のご安心から法度まで一貫して流れているのは、従果向因の偉大なるお力が私ひとりにかかりはてた「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば親鸞一人がため」だというのが、お領解文の中に読み込まれているわけですから、これを疎(おろそ)かにはできません。
この蓮如様に至るまでに、覚如様のあまり知られざるご苦労があったということをも申しあげたかったわけでございます。
(平成7年11月4日華光大会の法話テープより)

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